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2009年1月 3日 (土)

鏡餅はきえた?

うちの前の海岸で、凧があがっています。

皆さんは、前に凧揚げをしたのは、あるいは子供としたのはいつですか?

ここ数年、正月に凧揚げをしている風景をあまり見なくなりました。

私が小学生のころの30年ほど前には、正月に小学校の校庭や広い公園に行くと、

大人も子供もたくさんの凧を揚げていて、誰が一番高く上がるか暗黙の競争があったものですし、

近くの人と凧が絡まったりして、ほどくのに苦労したりしました。

ゲイラカイトをはじめ(白いビニールに赤と黒の目玉が大きく書いてある三角形の凧)、

あこがれの凧がいくつかあって、町の文房具屋やスーパーでなけなしのお小遣いを払って買ったものでした。

ちょうどブームだったというのもあるでしょう。

しかし、今では、凧を揚げている光景があまりに珍しいものになってしまいました。

ましてや独楽回しや羽子板をしている人は全くといっていいほど見当たりません。

さすがに羽子板は私もあまりしたことがありませんが。バドミントンで代替している家族はよくいましたね。

すごろくや福笑いをしたのも遠い昔です。甘酒やお屠蘇を飲むこともなくなりました。

鏡餅はまだすたれてはいないでしょうか。若い夫婦のマンションにはもう置いていないかもしれませんね。

正月のしめ飾りを飾ってある家も少なくなりましたし、飾ってあってもかなり簡易化されています。

門松などになると、都会ではほとんど見ることができません。

時代の流れといえばそれまでなのですが、家族のつながり、こどもの活発さ、古きよきものへの敬意

といったものが消えてしまっていっている証拠のような気がします。

それぞれ、それなりの意味があって長い間、多くの人の慣習となっていたものです。

桃の節句のひな壇とひなあられ、端午の節句の鯉のぼりと五月人形、盆の送り火・迎え火などなど

多くは、家族や近所の健康と団結に対する祈りこめて、行事が脈々と受け継がれてきました。

そのもの自体に物質的効果があるというより、一つの象徴として、願いや決意を新たにするきっかけの役割を果たしていたのではないでしょうか。

私は、どちらかというと合理的なほうだといわれますが、こういうソフトの部分が失われていることがとても気になります。

一見無駄なように見えて、見えない効果があるもの、こういうものを無駄といって否定しなくしていってしまうことの帰結はどうなるのでしょう?

私には想像がつきませんが、じわじわと人間の首を絞める形で影響が出てくる、もう出ている気がしてなりません。

だいぶ、年寄りくさいことをぼやいてしまいました。

古きよき習慣や、古きよき遊び(竹とんぼ、草笛など)を一緒に楽しみながら伝承していくサークルが、各町にいくつかずつあるといいなあと最近思います。

落ち着いたら、シニアの方々の講師のもとで、大勢の家族が伝統行事を楽しみ、受け継ぎ、またシニアの方々も敬意を払われ、なすべきことをなして満足を得られるようなしかけをしていけたらなどと夢想したりします。

マネードクターでした。

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