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2008年10月

2008年10月24日 (金)

相撲八百長問題の謎を解く鍵

大相撲の八百長問題がマスコミをにぎわしています。

謎が多いですね。

大麻問題のときもそうでしたが、状況証拠や物的証拠が揃っていると思われるのに、疑われている人があまりにはっきりと否定するので、本当にやっていないんじゃないかとも受け取れます。

真偽のほどは、これから調査・捜査が進むうちに明らかになってほしいと思いますが、この問題のなかに、日本人の強みでもあり弱みでもある言葉の定義の曖昧さがあると思います。

「八百長はあるのですか?」という問いに対して、相撲関係者の多くは「無気力相撲はあるが八百長は無い。」と答えます。2つの違いがはっきりしませんし、同じことを違う言葉で言い換えている人も見受けられます。

「かわいがりはあったのですか?」に対しても、通常の稽古であり指導だと相撲関係者は答えますが、どこまでが通常でどこからがそうでないかの基準は、聞く側と答える側で異なっているように思えます。

聞いている我々は、それって何が違うの?頼まれてわざと負けたり、そこに金銭授受が伴ったりしていれば八百長じゃないの?と思ってしまいます。

これは、「八百長」という言葉に対して世間一般が考える中身と、相撲界での定義が異なっているからこういうことがおきるのだと思います。

「八百長」は、本来真剣勝負であるべき戦いで、事前に勝ち負けのシナリオを決めて、わざと勝ったり負けたりすることと定義できます。一般には、そこに金銭の授受が伴えばより悪質ととらえます。

金銭授受が伴うことを八百長の要件とするかは意見が分かれるところですが、それは、八百長をした人を罰するかどうか、罰する程度を決める際に考慮すればよいと思います。予定調和をした時点で八百長と考えてよいでしょう。

真剣勝負を見せることで観客から報酬を受け取っている場合は、スポーツでも品評会でも国会などでの討議でも、わざと勝ったり負けたりすることは顧客への裏切りでしょう。主催する団体は、プレイヤーを罰したほうがよいでしょうし、そうしなければ、イベントが魅力を失って顧客れが起き、衰退していくでしょう。

相撲は国技であり文化だから顧客に対する義務は無いというような発言をする人もいますが、無償で公開しているならまだしも、安くない料金をとって催しているのですから、顧客がいないと成立しない立派な経済活動だといえますね。

そもそも、競技として、真剣勝負をするものなのですから、そこにわざとの勝ち負けがあっていいわけがありません。国技だというならなおさらでしょう。それを恥としないのなら、ショーという位置づけでこれからは開催していくべきです。

野球、サッカー、ボクシングなど、真剣勝負の競技において、わざとの勝ち負けなどあったらスポーツとしての信頼を大きく失います。

相撲はスポーツではない、格闘技でもない、国技で神聖な儀式であり別格だといって、この真剣勝負の問題をかわそうとする人もいますが、これまた定義のすり替えでしょう。相撲は真剣勝負ですか?違いますか?と聞かれたら、皆さん、真剣勝負だと答えるのではないでしょうか。

プロレスは、団体にもよりますが、我々はショーであると明言して、また観客もそれを前提としてお金を払って楽しんでいるわけですから、わざとの勝ち負けがあっていいわけです。というかそれをいかに楽しく見せるかが鍵になります。

「八百長」とは、

①真剣勝負が前提の競技において

②事前に勝ち負けを示し合わせて

③わざと勝ったり負けたりすること

④勝ち負けを金銭で売買するものは最も悪質

と定義して、この定義のもとで、相撲協会関係者と世間は議論をしてはどうでしょうか。少なくとも、裁判においては言葉の定義を統一しないと、争いの解決にはつながらないはずです。

そういえば、昔、この言葉の定義のすり替えを悪用した詭弁家がいました。「あーいえば○○○○○」などと呼ばれた人です。人殺しは悪ですよね?という問いに、自分の宗教を否定するものの命を奪うことはポ○であり善である。と相手にしゃべる間を与えずに声高にしゃべり続けることで、世間を困惑させました。

郵政民営化議論や、政治家の不正についての本人談などでも、言葉の定義のすり替えにより議論がかみ合わない場面をよく見かけました。

自分の解釈ですべてをしゃべっていいなら、人間のコミュニケーションが成り立ちませんよね。きちんと内容を持った対話をして結論を導き出すには、大多数の人が納得するような定義のもとで話をする必要があります。

人と人が、あるテーマで肯定否定を討議するディベートでは、必ず言葉の定義をしますし、相手の定義の弱点をつくのが定石です。定義が違っていたらそもそも討議にならないからです。

井戸端おしゃべりなら、しゃべること自体が目的のことも多いですから、言葉の定義などしなくても許されますが、公やビジネスの場での議論、金銭や名誉がかかるコミュニケーションでは、言葉の定義をしっかり定めて意見を交換する必要があると思います。

マネードクターでした。

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